きろく

学問もがんばりたいし運動の習慣もつけたい

下田生活0日目

本日、つくばから下田に引っ越しました

これからはなるべく毎日、やったこと見たもの学んだことを書いて下田日記をつけようと思います。

 

今日の1日はこんなかんじでした。

7時前起床

8時つくば発

11時頃海老名サービスエリアにて4年越しに友達と会う

14時半頃下田着、荷物の搬入など

以後買い出し、ご飯、ホテルにて爆睡。

 

引越しの感想です

・計画的に準備しましょう

・ゴミ袋は思ってる倍用意しましょう

・シミュレーションができると良いです

・隣に荷物を運び入れられることはとても便利です(なんのアドバイスにもならない)

 

今回の引越しには親が付き添ってくれて、つくばから下田まで運転してもらいましたが、その経路をエクセルのシートに印刷(4枚分)していてめちゃくちゃ凄いなと思いました。どこで車線変更するか、まで書いてありました。それ以外にも退去時の清掃のほとんどをやってくれました。感謝でいっぱい。現実逃避ばっかりしててごめんなさい。

もう既に身体は下田にあるのに、精神はつくばの辺りをふらふらと彷徨っている気分です。これから下田で生活するなんていう実感は湧きません。

宿舎の部屋は思ったより広く、お風呂やトイレの清掃もされるし比較的綺麗だし、で良いスタートです。荷物も全部入ったし。

明日はジムを契約しに行きます。あとはさっさと友達を作ります。

 

今、部屋には相棒が5匹以上います。この前買ったIKEAのさめ、ヒメモンステラ、アボカド、多肉×2などです。今日ホームセンターで、ずっと探してたハオルチアっぽい子に遭遇したので新たな仲間が加わりました。

この生活に慣れるまで、寂しさは気力を削ぐ原因になってしまうので、バイクに乗ったりおさかなを追いかけたりジムに行ったり走ったりギター弾いたりしてとにかく気を紛らわせようと思います。

 

次みなさんに会う頃にはスーパーつよつよになっていることでしょう。

それでは、また明日。

ADHDとわたし

こんばんは。今日は書きたい気分なので本日二本目のブログです。

というか、昔考えて書き散らしていたものをちょこっと整理するような感じです。

相変わらず読み辛い文章ですが、お付き合いください。

 

ADHDって、近年よく耳にしますよね。

発達障害のひとつらしいです。そして私もどうやら、ADHDっぽさを持っているようです。

病院に行って診断書を出してもらったわけじゃないので、人によっては自意識過剰だと思うかもしれません。だいたいのことは自意識過剰でおさまってしまうので、気にしないでください。

ADHDにはどういう症状があるのか、すこしだけ紹介します。

まず多動性、そして衝動性、注意散漫など。個人的には良い意味で能天気というか、楽観主義なのもあるのではないかと思っています。多動性は、見たままで、じっとしていられないということです。衝動性は、衝動的になにかをやりたくなって、それを止められないということです。注意散漫は、かなり大きなミスを連発する、重要なことを忘れてしまう、などです。

わたしは、20年生きてきて、この性格?とのうまい付き合い方がわかるようになって、自分の個性として生かせていると思います。他人に私ならそんなことできない、と言われることは大抵衝動が抑えられなくなって始めただけのことで、部活や運動が良い例です。多動については、どういう条件でひどくなるのか、というのがまだよくわかっていないのでこれからも自分のことをもっとよく知ろうと思います。注意散漫については、手帳をつけたりスマホにメモしたり、とにかく文字にすることでかなり改善されました。それでも必修の授業の発表の日時を平気で間違えたりもします。(専英)

楽観的なことは、自分のいいところだと思っています。たしかに自分のミスでまわりに多大なる迷惑をかけてしまう場合それは良くないですが、基本的にそのような生き方をしていない(これについてはどうにかしなければならないと思っています)ため、セーフです。でも、衝動性と楽観主義はセットになっているからこそいいのではとも思っています。

例えば大会にエントリーしたり、合宿に申し込んだり、通常なら心配したり不安になったりしてできないことでも、何とかなると思っていれば本当に何とかなるし、正直心配しても何も変わらないのだからそのエネルギーを練習だったりプラスのものに変えてしまえば良いとおもっています。そう簡単にいかないことももちろんありますし、私は私の狭い世界しかまだ見ていないので、今後この考え方は変わるかもしれません。

そうだとしても、私の性格的に、やらない後悔よりも圧倒的にやる後悔の方がましなので、色々なことに挑戦して失敗できるうちにたくさん失敗しておこうと思います。私のまわりの人は、わたしが色んなことに手を出して毎度追い詰められてちょっと病んでるのを見て、またやってるよと思うかもしれませんが、私にとっていちばん苦しいのは、何もやらないこと、やらずに後悔することなんです。そうなるくらいなら、やってみて失敗した方が何倍もましなんです。

以前、ヒトは10代のうちに手に入らなかったものに一生固執するんだ、という文を見かけました。

比較的色んな経験をすることができて、家族や友人にも恵まれて、自分ではあまりコンプレックスに感じていることはありませんが、あるとするなら挑戦することです。今考えても、私の周りには音楽でヨーロッパに留学するチャンスやIBのコースを受けるだけ受けてみるチャンス、絵をちゃんと描いてコンクールに出してみるチャンスなど、本当にいろんなチャンスが転がっていました。なんとなく、怖いから、めんどくさいから、という気持ちで意味もなく消えていったエネルギーとチャンスは計り知れません。

それを最近になってようやく自覚しだしたので、3年生とはいえ色んなことに挑戦し、果てにはこの地を飛び出して僻地で修行してやろうと思った次第でございます。

それでも今この大学に通うことができて、部活に入ることができて、受け入れ支えてくれる周りの人がいるからこそ成り立っている生活ですので、今後も感謝をつづけてできるだけ周りに還元していきたいと思っています。

 

ADHDの話から私が普段どういうモットーでいるのかという話まで飛んでしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

鼻提灯とメンヘラ

こんばんは。お久しぶりです。

約一年半前に書いていたブログを発掘しました。

 

せっかくなので、ここ数日の日記を書きます。

8月に、フランスに留学する先輩からピアノを買いました。それを家に運んでから、数か月がたち、10月のおわりにようやく組み立てることができました。

 

8月に家に運んだときは、先輩・同期・後輩の4人もの力とカーシェアを借りていました。これを組み立てるときも、近所に住む同期たちに夜中0時をまわったあとに家に来てもらい、1時間以上格闘して完成させることができました。

 

その時の皆さんに、さすがに何かお礼をしなきゃということで、第一回おうちチーズタッカルビ会を開催しました。

 

人が家に来るとなると、いやでも家の掃除と片付けをしなきゃいけなくなるので非常に助かります。

今回はまだ良い方でしたが、日に日に汚くなっていくのは自然の摂理なので、今後もいろんな人を家に招きたいと思います。

 

さて、チーズタッカルビ会ではイトというボードゲームを行いました。

このボードゲームでは、各々がもつ「常識」とその人独自の感性が鍵となります。従って、面白い感性を持っていたり、常識にとらわれないような考え方をする人がいるとゲームが崩壊します。それがイトの非常に面白いところでもあります。

 

前回別のメンバーで行ったさいには、「あったら嬉しい能力」の中に「いつでも鼻提灯を出すことができる」というのが60位くらいにランクインしていました。今回は、「ほしい動物の能力」の中に「生きているか死んでいるかがわかる」というのが挙げられていました。ゲームをやっているときはこれが出てきて非常に面白かったのですが、文字にしてみると上手く伝えられなくてもどかしいです。あんまりわからなかった人は、今度一緒にやりましょう。駿がもっています。

 

ところで、皆さんが踏むと嫌なもの、痛いものはなんですか。

メンヘラを踏んだことのある方はいらっしゃいますか。

わたしは今回のチーズタッカルビ会で謎にメンヘラの扱いをされたので、一度踏まれてみて爆発して家の壁をぶち壊してやろうと思います。できれば渡邊に引き渡す前に。そして駿にお願いして、渡邊と小林が仲良く川の字で寝ているところの写真を撮ってもらおうと思います。

 

急な身内ネタすみません。

また近いうちに頭の中身を吐き出すようなブログを書きます。

2021年の振り返り7【冬編】

秋学期開始と越冬1

 10月から大学の秋学期が開始しました。実家で家事をすることもなく楽しいことばかりをして1カ月ほど過ごしていたので、一人暮らしのアパートに戻ったときはまるで夢から醒めたような気分でした。朝起きても一人、夜寝るときも一人で、一人暮らしを始めた頃のような寂しさを日々感じていました。

幸い、大学のサークル活動が春よりも活発になり、大学の人と過ごす時間が増えたり[1]、新しい友達ができたりしていたので、再び暴食したりすることは無くなりました(多分)。

 ところで、11月頃に、ある航空会社が「茨城HAPPYキャンペーン」なるものを行っていたのをご存じでしょうか。その内容は茨城空港と全国各地を結ぶ便が数量限定で格安になるというもので、各便10席ほどとかなり限られた数ではありますが、片道約2000円で県外に行くことができました。

私の友達はこれを利用して、はるばる茨城までやってきてくれました。普段茨城空港を利用することがないので、初めて茨城空港に出向かい、友達を迎えに行ったり見送りにいったりしました。その頃には茨城の寒さは厳しくなりつつ[2]あり、本格的に冬を越せるかが心配になっていました。[3]

 

越冬2

 あっという間に11月が過ぎ、12月がやってきました。11月の時点で寒さに悲鳴を上げていた私は、12月のあまりの寒さに耐えきれず、再び引きこもり生活をはじめていました。そして、驚かれるかもしれませんが、私はあまり鍋というものをしたことがなかったので、たぶん生まれて初めてになったであろう[4]鍋を友達の家でやりました。

 12月中旬、私と仲良くしてくれている友達の一人が、20歳になる前にやりたいことがあると言っていたので、授業の合間を縫ってそのうちの1つである2泊3日の沖縄旅行に出かけました。こうやって平日でも旅行に行けちゃうあたり、大学生みを感じますね。

南国は12月でも25度くらい[5]の気温で大変に過ごしやすく、茨城に帰らずにこのまま地元で冬を越そうかと考えてしまうほどでした。私の地元では自然を見て季節を感じることがほとんどなく、冬だろうが夏だろうがバナナの木やパパイヤの木、ハイビスカスなどをその辺でよく見かけます。当たり前のことですが、本土ではそのことは普通ではないので、私の友達は、近所のバナナの木を見て驚いていました。茨城に帰りながら東京の観光もでき、とてもいい思い出となりました。

 12月後半のイベントと言ったとき、皆さんなら何を思い浮かべるでしょうか。やっぱりクリスマスですよね。私は、誰が何と言おうとクリスマスこそが12月のメインイベントだと思っているのですが、筑波大学にはクリスマスがありません。ないというのはどういうことかというと、クリスマスを考慮して、冬休みになったりはしないということです。

今年はクリスマスイブが、がっつり期末試験にかぶっていました。他の大学がクリスマスをさせてくれる日程になるのに対しうちの大学ではそうでないことを恨みつつ、期末の勉強にとりかかりました。溜め癖のある私はここでもしっかり授業を溜めていたので、またまた死ぬような思いをしていました。

なんとか試験を切り抜け、短い冬休みを使って1週間ほどプチ帰省をしました。やっぱり地元に帰ると暖かくて、どうにかして宅通することはできないのかと考えていました。[6]

 

越冬3

 実家から茨城に戻った私は、空白の2週間を過ごしていました。わかる人にはわかると思います。でもそれのおかげで生活習慣をコントロールでき、割と減量することができました。やせた話はまた今度記事にします。

この時期になると授業自体は少なくなっていくので、空いた時間は遊園地に行ったりまだ行ったことのない場所に行ったりしていました。期末試験が終わった後はバイトをしたり、友達が遊びに来たりしていました。友達とは1人じゃなかなか勇気がでなくてできないこともできてしまうのでいつも感謝しています。[7]

 3月になって、大学のサークル活動が制限されているなか、やっぱり寒いし実家しか勝たん!ということで再び帰省しました。実家にいるとできること[8]が本当に多くて、アパートにいるときに比べて虚無っている時間が少ないし孤独じゃないので精神が豊かになります。

別になにもしないことや孤独でいることが精神を病むとは言いません。私は適度な距離間で人と過ごすとか色々なことをするのが好きだというだけで、これは好みの話だと思います。思うままに楽器を演奏したり、ドライブに連れて行ってもらったり、図書館で本を読んだり、、、

この生活がもうすぐ終わってしまうと考えると少し寂しいですが、また4月からは新しく友達ができたり後輩ができたり、また色んなことが経験できると考えるとそれはそれで楽しみでもあります。今年は、病まないようにちゃんと外出をして生活習慣も良くしてもっと自分のことを好きになれたらなあと思います。

 

2021年の振り返りがかなり長くなってしまいましたが、この辺でおしまいにします。ここにかけていない小話的なのもたくさんあるので、思い出し次第また更新していきます。最後まで読んでくれてありがとうございました。またブログに遊びに来てね

 

[1] この頃だったか、紅葉が綺麗な季節があり、大学の先輩方と紅葉狩りに行きました。地元では年中常緑樹が生い茂り、紅葉はおろかどんぐりすら目にすることが珍しかったので、赤や黄色に彩られた木々を見るたびに感動していました。同時に、落葉があると掃除が大変そうだな、とも思いました。

[2] 友達が私の家に滞在している間、深夜にカラオケに行ってアパートまで歩いて帰ったことがあったのですが、その時の気温は2度と、とても私たちが耐えられるような温度ではなかったことを覚えています。帰宅後暖房と間違えて冷房をつけてしまい、室温が5度になってしまいました。あのときはごめんね。

[3] 本土の人と南国の人とでは「寒い温度」の定義が大きく異なります。私たちにとって(冬でも)19度は寒い温度ですが、雪が降ったりする本土の人たちからすると15度以上は暖かい温度と感じるそうです。19度でどれくらい寒がっていたかというと、高校の制服に毛布を巻いて登校していたくらいです。私の友達のAちゃん(今は北海道にいます)はマフラーを巻いて登校していました。

[4] もしかすると実家で鍋したことがあったかもしれませんが、みんなで鍋を囲んでキムチ鍋にするだとか豆乳鍋にするだとかいう風なことをした記憶はなかったのでそう書きます。やったことあったらごめんなさい。

[5] クリスマスもお正月もクーラーをつけたりするくらい暑いし日差しが強いです。あと日が落ちるのが遅い。

[6] 茨城HAPPYキャンペーンを行った某航空会社が、新たに定額制で飛行機に乗り放題というキャンペーンを行っていました。それを利用すれば週1くらいで対面の授業があるときに使えそうだと思いましたが、残念ながら週に6時間も実験があったり期末試験が対面だったり、実家から大学まで片道6時間ほどかかってしまう計算になったりと現実的ではなかったので諦めました。あと飛行機代がどうにかなっても電車代が馬鹿にならなかった。

[7] 朝6時30分に家をでるというのに朝起きて唐揚げを作り始めた日もありました。思い付きで東京に遊びに行った日もありました。楽しいけど睡眠時間を削りがちなので次遊びにくるときは睡眠時間を削らなくても良いように工夫をしたいです。

[8] できることが多いのもそうですがなんといってもやるべきことが少ない!家事をしなくてもいいし、なにもしなくても美味しくて豪華なご飯が出てきて、お皿も洗われていて、洋服もかごに入れたらいつの間にか洗濯されて箪笥にしまってある。。。一人暮らしをしていなければこんなに感謝していなかったかもしれません。本当にありがとう。

2021年の振り返り6【夏編】

2021年の振り返り、夏編です。夏編よりも次の記事の冬編の方が(まだ覚えていることが多いので)情報量が多いです。

早めの夏休み

 筑波大生ならわかると思いますが、他大学が2モジュール制?であるのに対し、筑波はそうではありません。要は、他大では1年間の時間割が2通りしかない(多分)のに対し、筑波は6通りあります。履修登録も6回、期末試験も6回です。授業が分散されたり、期末の負担が分散されたりするという意味で非常にありがたい制度です。

わたしはこの制度を利用して、7月に新幹線に乗って1週間ほど旅行に行きました。旅行先では新しく友人ができ、時間と気力に余裕のある大学1年生のうちによい経験ができたと思います。

 

夏休みとサークル

 当初、大学の期末試験が終わると実家に帰省しようと考えていましたが、地元で緊急事態宣言が出ていたことなどを理由に、しばらくはつくばに残っていました。[1]その間、新しいバイトを始めたり、本番にむけて多少活発になっていたサークル活動に参加したりと、それなりに楽しく過ごしていました。[2]

 

帰省

 9月、茨城県でも緊急事態宣言が発令され、どのみち引きこもるなら実家にいた方が金銭的にも精神的にも負担が小さいと考え、帰省することを決めました。帰省中、たくさんのおいしいごはんを食べることができましたが、その分運動するということは一切していなかったので、前の記事にも書いた通り2週間強で4キロ増量しました。2022年の夏には成人式の前撮りが控えているというのに、なかなかの食べっぷりでした。

 

[1] 本当は実家に帰って地元の友達と遊んだりしたかったですが、実家にいても引きこもるくらいならつくばでたくさんバイトしてお金を稼いだ方がよいと判断しました。

[2] 8月の30日の夜、大気の状態が不安定だったのか、数時間にわたって雷が鳴りやまないことがありました。雨は降らず雷だけがずっとなっていて、しょっちゅう空が光って綺麗だったので家の外に出てそれを眺めていたら、隣に住んでいる方も家から出てきて雷を見始めました。良い機会だったので友達になりました。

2021年の振り返り5【バイト編】

バイト歴

 私は今つくばでは飲食店のバイトと派遣のバイトをしています。それ以外に結婚式場のバイトをしていたのでそれぞれ軽くレポします。沖縄では、ありがたいことに、受験生のとき通っていた塾で時給2000で英語を教えるだけの神バイトをたまにしています。

 まず飲食店のバイトですが、これは最近はじめたものなのであまりよくわかっていません。いまのところ、知り合いが多くてそこまで客層も悪くないし、何よりシフトの融通が超きく[1]のでしばらく続けると思います。

 次に、派遣のバイトですが、これはみなさんご存じZOZOタウンのバイトが主です。業務内容は様々ですが、私は梱包をよくやっています。ZOZOのいいところは接客がない、前日にシフトを入れられる、1日で8000円稼げる、制服も髪色指定もないところです。また、たまに筑波大生もいるので運がよければいろんな話を聞くことができ、そうでなくても普段関わらない感じの人とも話すことができます。欠点は、(私は)アクセスがそこまで良くないことです。8時から勤務開始なので6:30には家を出なければなりません。冬なんか激寒で何度ドタキャンしようと思ったことか。2回くらいはしたことあるけど。あとシンプルに肉体労働で一日中単純作業をしているのでそれがしんどい人には向かないかも…

 結婚式場のバイトは、あまり他にやっている人を見ないレアなバイトです。メリットは、人生でそう多くない結婚披露宴を何度も経験することができ、フレンチとかいわゆるちゃんとしたコース料理の食べ方、社会人としてのマナー的なのが(長くやっていれば)身につくかもしれないところ、豪華なコース料理のあまりを賄いとして食べることができるかもしれないところです。デメリットは、その業務内容です。華やかな結婚披露宴ですが、その後ろでは分刻みで食事を出したり取り下げたりととにかく忙しくて、個人的にはZOZOよりも肉体労働な日もあるというくらいハードです。その割に時給が低く、アクセスが悪くて交通費もあまり出ないということもあって段々と足が遠のいていきました。結果的には私が成人式に向けてブリーチをした[2]ので、髪色の規定に反するということで辞めましたが、たぶんもう行かないです。散々ディスってしまいましたが、今まで披露宴などに参加したことがなかったので、とても良い社会経験になったな、と思います。

 

[1] 私は基本長期休暇・GW・クリスマス等に予定を入れまくる人なのでこれが最重要

[2] 成人式では振袖に合わせて髪の毛を銀色にしたいです。

2021年の振り返り4【サークル編】

サークル等

 私は現在音楽系のサークルと体育会系のサークル、県人会に所属しています。他の音楽系サークルや研究会的なサークル、某実行委員にも一時期所属していましたが、諸事情により辞めてしまいました…やりたいこととできることのキャパのバランスって難しいですよね。本音を言えば、農業系のサークルにも興味があるし、ドラムもかっこいいなと思っています。ですが2-3個のバイトを掛け持ちしていたり、ただでさえ要領が悪いのに取りたい授業を詰めたりしているということもあって、それと朝とてつもなく弱いということもあって新しいサークルに所属するのは今はよしておこうと思っています。

 私の所属する音楽系のサークルでは、数千円の年会費を払えば楽器が演奏し放題です。定期的に開催されるコンサートがあるもののあまり練習室を利用していなかったので去年は私が出場することはありませんでした…今年の6月のコンサートには何とか出ようと思っているのでお時間ある方はぜひ。コンサートでは色々な先輩方の演奏を聴くことができます。私の推しは医学類4年(新5年?)の女の先輩です。すごい大曲を何曲も、それもかなりのクオリティで演奏なさるので、毎日5時間くらいは練習してるんじゃないかと思えてきます。医学部の勉強とあの演奏を両立させていることにただただ恐れおののくばかりです。

 また、体育会系のサークルでは、普段は基本的な練習をして、夏になると0次、1次、2次と合宿があります。まだ1回しか練習に参加したことがないのであまりわかりませんが、県人会と争うくらい居心地の良いサークルです。

 県人会は、その名の通り、沖縄県出身の筑波大生の集まりです。サークルの美味しい部分を凝縮したような集まりで、雰囲気だとかノリだとかそういうところで沖縄を感じさせてくれるとても良い集まりです。今年は筑波山にいったりエイサー[1]をしたり、紅葉狩りに行ったりしたみたいです。県人会ではうちなーたいむ[2] が許されるような風習があり、イベントのとき集合時間に起床する先輩方もいらっしゃいますが、私はそのゆるさ[3]が大好きなので今後も続いてほしいと思っています。

 

[1] 沖縄版阿波踊り?らしい。パーランクーといわれる締め鼓や大太鼓、女踊り、地謡、チョンダラーなどから構成されます。虹の広場でよく練習してたから一の矢の人は10月とかの夜太鼓の音を聞いたりしたかな?

[2] 時間にゆるいこと。

[3] 今年卒業してしまいましたが、沖縄県人会には沖縄県出身ではない先輩もいました。沖縄出身じゃなくても受け入れてくれるくらいのゆるさというか暖かさが本当に好きです。