きろく

学問もがんばりたいし運動の習慣もつけたい

ADHDとわたし

こんばんは。今日は書きたい気分なので本日二本目のブログです。

というか、昔考えて書き散らしていたものをちょこっと整理するような感じです。

相変わらず読み辛い文章ですが、お付き合いください。

 

ADHDって、近年よく耳にしますよね。

発達障害のひとつらしいです。そして私もどうやら、ADHDっぽさを持っているようです。

病院に行って診断書を出してもらったわけじゃないので、人によっては自意識過剰だと思うかもしれません。だいたいのことは自意識過剰でおさまってしまうので、気にしないでください。

ADHDにはどういう症状があるのか、すこしだけ紹介します。

まず多動性、そして衝動性、注意散漫など。個人的には良い意味で能天気というか、楽観主義なのもあるのではないかと思っています。多動性は、見たままで、じっとしていられないということです。衝動性は、衝動的になにかをやりたくなって、それを止められないということです。注意散漫は、かなり大きなミスを連発する、重要なことを忘れてしまう、などです。

わたしは、20年生きてきて、この性格?とのうまい付き合い方がわかるようになって、自分の個性として生かせていると思います。他人に私ならそんなことできない、と言われることは大抵衝動が抑えられなくなって始めただけのことで、部活や運動が良い例です。多動については、どういう条件でひどくなるのか、というのがまだよくわかっていないのでこれからも自分のことをもっとよく知ろうと思います。注意散漫については、手帳をつけたりスマホにメモしたり、とにかく文字にすることでかなり改善されました。それでも必修の授業の発表の日時を平気で間違えたりもします。(専英)

楽観的なことは、自分のいいところだと思っています。たしかに自分のミスでまわりに多大なる迷惑をかけてしまう場合それは良くないですが、基本的にそのような生き方をしていない(これについてはどうにかしなければならないと思っています)ため、セーフです。でも、衝動性と楽観主義はセットになっているからこそいいのではとも思っています。

例えば大会にエントリーしたり、合宿に申し込んだり、通常なら心配したり不安になったりしてできないことでも、何とかなると思っていれば本当に何とかなるし、正直心配しても何も変わらないのだからそのエネルギーを練習だったりプラスのものに変えてしまえば良いとおもっています。そう簡単にいかないことももちろんありますし、私は私の狭い世界しかまだ見ていないので、今後この考え方は変わるかもしれません。

そうだとしても、私の性格的に、やらない後悔よりも圧倒的にやる後悔の方がましなので、色々なことに挑戦して失敗できるうちにたくさん失敗しておこうと思います。私のまわりの人は、わたしが色んなことに手を出して毎度追い詰められてちょっと病んでるのを見て、またやってるよと思うかもしれませんが、私にとっていちばん苦しいのは、何もやらないこと、やらずに後悔することなんです。そうなるくらいなら、やってみて失敗した方が何倍もましなんです。

以前、ヒトは10代のうちに手に入らなかったものに一生固執するんだ、という文を見かけました。

比較的色んな経験をすることができて、家族や友人にも恵まれて、自分ではあまりコンプレックスに感じていることはありませんが、あるとするなら挑戦することです。今考えても、私の周りには音楽でヨーロッパに留学するチャンスやIBのコースを受けるだけ受けてみるチャンス、絵をちゃんと描いてコンクールに出してみるチャンスなど、本当にいろんなチャンスが転がっていました。なんとなく、怖いから、めんどくさいから、という気持ちで意味もなく消えていったエネルギーとチャンスは計り知れません。

それを最近になってようやく自覚しだしたので、3年生とはいえ色んなことに挑戦し、果てにはこの地を飛び出して僻地で修行してやろうと思った次第でございます。

それでも今この大学に通うことができて、部活に入ることができて、受け入れ支えてくれる周りの人がいるからこそ成り立っている生活ですので、今後も感謝をつづけてできるだけ周りに還元していきたいと思っています。

 

ADHDの話から私が普段どういうモットーでいるのかという話まで飛んでしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。